世界ふしぎ発見:日本史最大のミステリー「源義経は生きていた?」その謎に白石みきが迫る!

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源義経

今回の世界ふしぎ発見は、世界でなく日本のミステリーを調査します。
悲劇の武将源義経の伝説の謎に迫ります!

義経が亡くなったといわれる平泉ですが、ここには影武者の墓がまつられており本当の義経はさらに北上したと考えられています。

北海道へ渡ったのか、もしくはチンギス・ハーンとなったのか?
今でも謎の多い義経の最後は、日本史の中でも大きなミステリー。

番組では、義綱が平泉から北上した「義経北上コース」を辿って、義経の足跡をミステリーハンターの白石みきさんが辿ります!

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世界ふしぎ発見!「日本史最大の謎 消えた義経を追え」

今回の「世界ふしぎ発見!」は悲劇の武将源義経の伝説に浮上した新事実を追います。
戦で類まれな才能を発揮するも、実の兄源頼朝から追われる身となった義経。

中国に渡りチンギス・ハーンとなったという説など、今も人々の関心を誘います。
そんな義経の謎に迫るのはミステリーハンターの白石みきさんです。

番組でリポートした「春の藤原まつり」で義経役を演じた横浜流星さんと。

過去の白石さんが紹介したレポートの記事はこちら

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今回の「世界ふしぎ発見!」は「ラオスのことは何も知らなかったけど、ラオスは□□...

“歴史上”義経最後の地とされる、世界遺産 平泉

岩手県の世界遺産の平泉は、中尊寺をはじめとする遺跡群。
平安時代末期に栄華を極めた藤原氏に関する建築が残ります。

ここで5月に開催される「春の藤原まつり」は、義経が頼朝から逃れ、父の様に慕っていた藤原秀衡(ひでひら)を頼りに平泉に来たという「東下り」の様子を再現。

義経役には毎年“イケメン”が抜擢され、今年は横浜流星さんが務めました。

豪華絢爛な中尊寺金色堂に見られる藤原氏の権力。

しかし秀衡の死後、息子の泰衡(やすひら)は頼朝の圧力に負け、1189年に義経は衣川の戦いで自害。後に藤原氏も滅亡した、とされています。

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こんなのがあるんだ!焼肉と鍋が同時にできる義経鍋

日本人に人気の源義経の名前を冠した調理器具があるのをご存知でしょうか?

それが、番組で紹介された義経鍋です。

弁慶が兜を鉄板の代わりにしたことに由来しており、鍋と焼肉が楽しめる一石二鳥の調理器で形がユニークです。南部鉄器製もあって、東北地方ではポピュラーな道具ですね。

こんな調理器具があるとは、初めて知りました。
鍋と焼肉を同時にやりたい贅沢な人には嬉しい一品ですね。

平泉で死んだのは義経ではない?!影武者説を伝える墓碑

義経の死から600年、義経の死に疑問を持ったのが「水戸黄門」で知られる水戸光圀でした。
各地に残る“義経伝説”を結ぶと「義経北行コース」が浮かびあがります。

その一つにある墓碑には「源祖義経神霊見替 杉目太郎行信碑」とあります。
つまり義経の身代わりとなったということを意味します。

この墓碑はその土地の人々が口伝えにし、明治時代に建てられました。
代々秘密にしてきた様子が生々しいですね。

義経の足跡が残る伝説の「義経北行コース」

岩手県から青森県を結ぶ「義経北行コース」
平泉~遠野~釜石~宮古~久慈~八戸~十三湊~龍飛崎がそのコースとなります。

長く滞在したと言われる青森県八戸周辺は、16ヶ所もの源義経に関連する地域が!

その1つ龗(おがみ)神社の隠し扉から出てきた古文書「類家稲荷大明神縁起」には、衣川の戦いの1年前に危険を察知した義経一向は北へ向かったと書かれています。

当時の十三湊では蝦夷(現在の北海道)や中国と貿易があり、騎馬民族の国「韃靼」から足腰の強い馬を輸入。義経が乗っていたのも大型の大陸産の馬だったと言われています。

そして、十三湊を統治していたのは秀衡の弟である十三秀栄(じゅうさんひでひさ)。
色々なことが義経に繋がってきましたね!

今も人々に愛される“義経伝説”、真相はいかに・・・?

義経が津軽半島の最北端から、龍の背に乗って蝦夷へ飛びだったという伝説から名が付いた龍飛崎。

そして北海道には30ヶ所以上もの義経伝説が残っています。
しかし、こちらは東北の様に一貫性はありません。

これは江戸時代に浄瑠璃や歌舞伎で人気だった義経伝説が、アイヌ人の暮らしぶりと結びついた想像によるもの。“判官贔屓”という言葉も江戸時代に生まれたものだったのですね。

そして有名な“義経=チンギス・ハーン”説。
これは明治時代イギリスのケンブリッジ大学に留学した末松謙澄(すえまつ けんちょう)が卒論で書いたもの。

これは幕末に日本に来たシーボルトが唱えた説の受け売りです。
日本を中国の一部のように考えていた当時のイギリス人をおもしろく思っていなかった末松が、中国の英雄チンギス・ハーンは日本人の義経だと紹介したのでした。

義経は北海道に渡ったのか、もしくは外国へ?

東北には800年に渡り数々の伝承が残ります。
秋田県鹿角市桃枝地区は20戸に満たない小さな村ですが、住んでいる方のほとんどの名前が“藤原”さん。

かつて泰衡が平泉を脱出する際、従ってきた人々が藤原の名を守るように言われこの地に住んだといいます。

平泉を脱出した人々は各地へ広がり、近年の研究では蝦夷で最初の和人として暮らしたと考えられています。

幼い頃は牛若丸と呼ばれ、家臣の弁慶と数々の伝説を残した義経。
義経が辿った北行ルートはなぜか桜の名所として有名な場所も多く、日本人が愛した義経と桜の不思議な繋がりを感じますね。

桜は桜でこのまえ取り上げられました。
https://tv-trip.com/sekai-sakura-hanami/

龍飛崎から北海道もしくは別の国へ旅立っていたとしたら、一体どのような人生を送っていたのでしょうか。
想像すればするほどロマン溢れる今回の「世界ふしぎ発見!」でした。

世界ふしぎ発見!「日本史最大の謎 消えた義経を追え」で訪ねたスポット

今回の「世界ふしぎ発見! 」で訪れたスポットです。
(金成・中尊寺・法霊山龗神社・市浦歴史民俗資料館 )

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